【京のこたび番外編(vol.4/全6回)】乙訓地域の有名人オンパレード寺院

京都いいとこマップ(2016年5・6月号)京のこたび「長岡京市」編で、誌面掲載しきれなかったマル秘観光情報をお届けします。穴場でツウでマニアックなスポットをご紹介していきますので、本誌とあわせてお楽しみください!(全6回)

京都府の南西部、向日市・長岡京市・大山崎町を有する西山から

東に向けて広がる地域を「乙訓(おとくに)」と呼びます。

その地域名を冠する寺が長岡京市の「乙訓寺」です。

牡丹の花の名所としても有名ですね。

それでは「乙訓寺」の歴史をざっくりとご紹介しましょう。

創建は推古天皇の時代に聖徳太子が建立。

784年、桓武天皇が長岡京に遷都した際に寺域が広がります。

しかしこの10年後、桓武天皇は長岡京から平安京へと遷都。

藤原種継の暗殺事件がきっかけだったわけですが

それに関わったと疑われたのが

桓武天皇の弟にあたる早良親王でした。

彼は流罪になる前、ここ「乙訓寺」で幽閉されます。

早良親王は断食で無実を訴え、

島流しの途中に亡くなってしまいます。

それ以降、都では色々と良くないことが起こり、

それは「早良親王の怨霊」と考えられました。

その怨霊を鎮めるべく、

ときの天皇たちは、あれやこれやと策を練るわけです。

真言宗開祖・空海が

乙訓寺の別当(律令制度のもと特別機関に置かれた長官)となったのも

その対策のひとつであったといわれています。

ちなみに空海が、天台宗開祖の最澄と初対面を果たしたのも

この乙訓寺と伝えられているんですよ。

足利義満によって禅寺になった時期を経て、

戦国時代には、信長の兵火によって一時衰退。

5代将軍徳川綱吉の時代には、

真言宗寺院として徳川の祈願寺となり再興します。

歴史をざっとひも解くだけで、

日本史の教科書に出てくる有名人の名前オンパレードの乙訓寺。

日本史を勉強中の学生さんにとっては、

いい課外授業スポットになる気もしますね。

>>5/6公開 
vol5「2016年国史跡登録!長岡京で古墳を楽しむ」に続く

【京のこたび番外編 長岡京市編(全6回)】
vol1 竹林に囲まれた朱色の鳥居並木
vol2 参道に垂れ下がる植物の謎
vol3 あの動物が出迎えてくれる名前のユニークな神社とは?
vol4 乙訓地域の有名人オンパレード寺院
※掲載情報は2016年3月-4月取材時のものです

★長岡京市のウォーキングツアー予約受付中★

よかったらシェアしてね!
目次
閉じる