豊国神社の北となりに位置する方広寺。
創建は文禄4年(1595年)、豊臣秀吉が木造毘盧遮那仏坐像(びるしゃなぶつ)を安置したのがはじまりといわれます。しかし創建した翌年、大地震によって崩壊。慶長17年(1612年)には、秀吉の息子である秀頼が再興。そして、慶長19年(1614年)、大阪冬の陣が起こります。
豊臣家滅亡となった大阪冬の陣。このきっかけとなった方広寺の梵鐘は有名な話ですね。高さ4メートルを超える大きな梵鐘。そこに刻まれた銘文に「国家安康」「君臣豊楽」という文字があったことに対し、家康の文字を切り離し呪詛しているのではと徳川サイドが言い寄り、それが大坂冬の陣のひきがねとなったのです。こないだの真田丸でも、鐘を巡るやり取りが描かれていましたね。片桐さんの様子を見ているだけで、私は胃が痛くなりました(^^;)
方広寺の東側には「大仏殿跡緑地」があります。豊臣秀吉は奈良の大仏に匹敵する大仏をつくろうと計画。しかし地震により倒壊。その後も再建しますが、火災や地震などで失ってしまいます。その跡地が公園のように整備されています。