悪党武士の終焉の地

西陣を歩いていると、公園なのか神社なのかわからない、ふしぎな場所に遭遇しました。ここは「名和児童公園」。遊具のある公園であるとともに、「名和長年戦死の地」であることを伝える石碑がたてられています。

「名和長年(なわながとし)」は南北朝時代、後醍醐天皇による「建武の新政」時代にに重用され、悪党とも呼ばれたといわれる武士のひとりです。

長年は現在の鳥取県を拠点とし海運業を営んでいたといわれています。その地へある日現れた後醍醐天皇。鎌倉幕府の倒幕を考えていた後醍醐天皇ですが、その計画がばれて隠岐へと島流しにあうものの、島の脱出に成功。その後上陸したのが長年が拠点としている地だったというわけです。

弓の名手だったという長年。後醍醐天皇vs鎌倉幕府が争った「船上山の戦い」では勝利をおさめ、帆掛け船の家紋を後醍醐天皇から与えられたとか。

最後は後醍醐天皇と対立した足利尊氏との戦いで京都にて討死。その終焉の地がこの公園のある場所だったと伝えられています。

名和長年戦死の地
京都市上京区大宮通一条下ル

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