堀川通。 二条城や西本願寺に面する大通りですが、
この付近は地下水が豊富で、かつては堀川という川が流れており、
友禅染において、川の流水で糊を落とす「友禅流し」が明治時代~戦後頃まで行われていたといいます。
たしかに堀川通沿いには、友禅の工房や茶道に関する史跡も多く残っていますよね。
そんな堀川通のそばに「越後神社」があります。
「越後屋…おぬしも悪よのう」なんてセリフが浮かびましたが違います。
室町時代~安土桃山時代頃、「杉若越後守」という武家のお屋敷があったことから
町の名前が「越後町」になり、そのまま神社の名前にもなったそうです。
そしてこの地は幕末頃、丹波篠山藩の青山家の京屋敷になりました。
このお屋敷には大きな湧水池があり、弁才天、龍神、稲荷明神を祀っていたそうです。
その神様たちは現在、越後神社に祀られています。
お社の後ろから水の湧き出るような音。のぞきこむと、こじんまりとした池。
う~ん・・・見えない・・・
青山家の屋敷にあった池の名残でしょうか?
それとも、その名残を表現している人工的なものでしょうか。それとも…。
この泉のそばには、石碑が建っています。消えかかっていますが、
「型友禅の祖 廣瀬備冶翁遺蹟」・・・と書いていると思われます。
廣瀬備冶(ひろせじすけ)とは、明治時代「写し友禅」という技法で友禅の大量生産に成功した人物です。
京都出身で友禅業のおうちに奉公。手描き友禅を行っていましたが
京都の舎密局(勧業のための化学分野の教育・研究機関)で化学染料を学んだことをきっかけに、この技法が開発されたそうです。
そしてこの地に工場を建て、境内の泉の水を使って経営したんだとか。
現在は毎年4月の例大祭で廣瀬備冶の功績をたたえる顕彰会を実施。
そんなわけで染色に携わる人々からは、「友禅神社」と呼ばれているそうです。
場所は堀川通を背にして六角通を進み、
一つ目の右折できる道を通りすぎ、次の左折できる道を左へ。
住宅に囲まれているので不安を抱くかもしれませんが道なりに進んでください。
鳥居の前は駐車場になっていて、その光景にびっくりするかもしれませんが、
これも歴史の1ページだと参拝を楽しんでもらえたらと思います。