【前編】京を駆けて歴史を辿る!「馬」由来の町名を巡り、「馬」ゆかりのスポットへ

北野天満宮 境内の絵馬所を見上げると…

2026年の干支は午(うま)年。古来より、馬は人の生活に欠かせない存在だったことから、馬とゆかりのある名所が各地に存在しています。たとえば京都には…

●上賀茂神社(京都市北区):日本の乗馬発祥の地。新年には邪気を払う「白馬奏覧神事」が行われます。

●貴船神社(京都市左京区):絵馬発祥の地。かつて降雨・止雨祈願で奉納していた馬が、板に描く「板立馬」になったことに由来。

●藤森神社(京都市伏見区):勝運と馬の神様。競馬関係者からも篤く信仰され、5月の「駈馬神事」が有名。

このような歴史スポットだけでなく、馬が付く「地名」も全国各地に残されています。

そこで今回は、午年の2026年を迎える前に、京都の「馬」にまつわる町名の一部をご紹介。そしてその町周辺の馬ゆかりのスポットへご案内します。

かつて力強く京を駆けたであろう馬たちの姿を想像しながら、歴史と文化が息づく京都の町を散策してみましょう。

目次

朝廷の「馬」たちがいた場所

最初にご紹介する町名は「左馬寮町」と「右馬寮町」です。場所は丸太町御前(JR円町駅から丸太町通を東へ進んだところ)の交差点より、およそ南側の地域。

平安時代、この地には、左馬寮(さまりょう)右馬寮(うめりょう)という役所がありました。朝廷の馬の調教・飼育、馬具・食料の管理などを担当したそうです。

「京都市立朱雀第二小学校」の北西角に「左馬寮跡」などを示す説明板など
街を歩けば住所を記した看板もちらほら

平安京の西端に位置した「藻壁門(そうへきもん)」の近くにあったとされる左馬寮・右馬寮。このあたりできっとたくさんの馬たちが暮らしていたんでしょうね。

左馬寮跡の説明板が立つところの近くには「京都市平安京創生館」(京都アスニー内)があります平安京復元模型や体験コーナーが設けられ、平安京の歴史や文化に触れられます。こちらもぜひ。

牛で有名な天神さんの「馬」との関係

丸太町御前の交差点から御前通を北上していくと、「北野天満宮」の大鳥居が見えてきます。学問の神様・菅原道真公をまつり、受験生の参拝でにぎわうこの神社のゆかりある動物といえば神様のお使い・牛が有名ですが、じつは馬とも関わりのある地でした。

〈馬との関わり①〉 町の名は?

北野天満宮の南エリアの看板には南馬喰町となっていました

「北野天満宮」の住所は、京都市上京区「馬喰町」。馬喰(ばくろ)とは、馬の管理や売買、病気の治療などを行う職業を指す言葉。この付近にその仕事に従事した人がいたことが地名の由来のひとつとされています。

〈馬との関わり②〉 道真公が馬で駆けた?

平安時代、「北野天満宮」の周辺には、右近衛府(うこんえふ)と呼ばれる役所の馬場(乗馬の訓練や行事が行われた場所)があったといわれています。「北野天満宮」のご祭神・菅原道真公は、右近衛府の長官を務めていた人物。道真公自身も馬に乗ってこの地を駆けていたのかもしれません。

北野天満宮の駐車場内には「右近馬場」を示す駒札が建てられています

〈馬との関わり③〉 京都最古級の絵馬所?

境内の絵馬所は元禄12年(1699)に建てられ、京都最古クラスの絵馬所といわれています。馬を奉納する風習から生まれた「絵馬」の奉納。迫力のある大絵馬、文字のみの絵馬、西陣織の絵馬などが並び、美術館に来たような気分になります。

絵馬所 この建物の内側にも歴史を感じる絵馬が飾られているので必見です

牛だけでなく馬の隠れスポットでもあった「北野天満宮」。毎年12月上旬頃には翌年の干支を描いた大絵馬が楼門に掲げられます。こちらもご注目ください。

>>>後編につづく(12/19公開予定)

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