吉田神社の北側鳥居付近、今出川通のところに「子安観音」があります。
鎌倉時代の石仏で近江と京都を行きかう旅人をずっと見守ってきました。
「拾遺都名所図会」にも描かれているそうです。
別名「太閤の石仏」と呼ばれています。
太閤といえば「豊臣秀吉」。
この石仏を気に入った秀吉は聚楽第へと運んだものの
夜になると「いのう、いのう」と石仏が泣くんだとか。
元の場所に帰りたいと秀吉に涙の訴え。
無事石仏は元の場所に戻されたそうです。
けっこうな大きさの石仏ですが、その表情はなんだか癒し系。
両脇のきれいな花は白川女の人々が供えているそうです。
ヨコから見ると甲羅を背負っているみたいに見えました。
●●仙人?って思ったことは内緒です☆
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