琵琶湖疏水通船モニター乗船レポート2015

滋賀県・琵琶湖の水を京都へと取り込むためにつくられた人工運河「琵琶湖疏水」。明治23年に完成してから125周年を迎えるにあたり、船に乗って疏水を通ろうという「琵琶湖疏水通船」が始まろうとしています。その本格事業に向けた検討を行うための試行船体験ツアーを、2015年3月28日~5月6日(土日祝のみ)に実施。事前予約制で応募者多数の場合は抽選というシステムだったのですが、なんと応募総数が定員の約16.5倍、39都道府県の方から申込があったそうです。
※2015年春の試行船体験ツアーの募集は終了しています。

本格的な運航が待ち遠しいという皆さん、試乗運航の抽選に残念ながらハズれてしまったという皆さん。いいとこ撮影チームは、大津・蹴上間の運航コースを取材させていただきました!映像と写真で、その雰囲気を味わってみませんか?

乗船したコース

・大津(滋賀)から始まり蹴上(京都)へ至るコース(7.8キロ、運航約1時間)

乗降船場

スタート…大津乗船場(第1トンネル入り口付近)
ゴール…蹴上下船場(旧九条山浄水場ポンプ室前)

映像で見る、琵琶湖疏水通船(モニター乗船)

写真で辿る、琵琶湖疏水通船(モニター乗船)

≪大津閘門≫
乗船場は、京阪電車石山坂本線「三井寺」駅から徒歩すぐ。大津閘門がある場所になります。
滋賀県の名刹「三井寺」の門前にあたり桜の名所。満開の桜が出迎えてくれました。

受付を済まし、ライフジャケットと音声ガイドを装着。大津閘門の上を歩き乗船場へ向かいます。
モニター乗船に使われる船は、8人乗りの屋根付きモーターボートです。

乗り込むのは、船長さんたち2名と乗客6名。
「いってらっしゃ~い」と上下水道局のスタッフさんたちに見送られて出発です。

≪第一トンネル(扁額…【東口】気象萬千/伊藤博文 【西口】廓其有容/山県有朋)≫

出発してすぐに待ち構えているのが「第一トンネル」です。このゲートが冒険心を駆り立てますね。
全長2.4kmという長さは、当時日本最長のトンネルで、
多くの人が「本当にできるのか?」と、トンネルの完成を疑っていたそうです。

トンネルの扁額※1を間近に見上げることができるのも船ならではの楽しみですね。

トンネル内は真っ暗ですが、船の灯りのおかげで意外と明るい印象。

注目すべきは、進行方向右側の壁。ロープのようなものが張られていますね。
これはかつて、船にモーターなどが付いていない時代、
京都から滋賀に戻る船は、このロープを辿っていたそうです。
「腕がムキムキになりますね」とスタッフ驚愕。

そして、右側の壁には「五〇〇」や「一八〇〇」などの表示プレートが時々現れます。
これは、トンネルが今何メートルの地点に来ているのかを示すモノ。
真ん中には「中央」の二文字のプレートが付けられています。

さらに、第一トンネル内には、
琵琶湖疏水事業を始めた第3代京都府知事・北垣国道による扁額がかけられています。
トンネルの出入り口だけでなく、中にも扁額があるんですね。
文字は「寶祚無窮」(皇位は永遠であるという意味だそうです)。
船は停止できないので、写真に撮るよりも目に焼き付けてくることをおすすめします。

第一トンネルの見所ポイントはまだあります。
それがこちら。まるで滝!第一トンネル第一竪坑です。

第一トンネルの工事では、山の両側だけでなく、
山の上から垂直に穴を掘る「竪坑方式」という方法をとりました。
深さ47m。この穴へ雨水や湧水が流れ込み、滝のように降り注いでいるんです。
この下を船は通っていきます。

第一トンネルを抜けました。抜けるまで約17分かかります。

≪緊急遮断ゲート≫
第一トンネルを抜ければ、平成11年に設置された「緊急遮断ゲート」。
堤防決壊時に水流を自動停止するゲートだそうです。
ちなみに、このゲートをくぐった先にある「藤尾橋」は、疏水工事で一番最初にできた橋。

このあたりは桜並木も綺麗でした!手を振ってくれたハイカー御一行。

≪諸羽トンネル≫
次に現れるトンネルは昭和45年に新設されました。長さ520m。
JR湖西線工事のためにつくられ、トンネルの出入り口に扁額はありません。
トンネル前には「四ノ宮船溜」(※2)があります。

諸羽トンネルを抜けると、船長さんいわく「最大の難所」という急カーブ!

≪山科疏水≫
桜や菜の花が楽しめる山科疏水。疏水上から見ても綺麗ですね。

山科の乗降船場に差し掛かりました。名刹「毘沙門堂」の近くで、
試行船体験ツアーでは、ここを発着場にしているコースもありました。

山科疏水では、野鳥がいたり、天智天皇陵があったりと、
豊かな自然に囲まれながらの船旅が続きます。

≪第二トンネル(扁額…【東口】仁以山悦智為水歓/井上馨 【西口】随山到水源/西郷従道)≫

鮮やかな朱色の橋をくぐったところで「第二トンネル」が登場します。
苔むす第二トンネル。ジブリ好きのスタッフは、「天空の城ラピュタ」に思いを馳せたといいます。

≪第11号橋≫
第二トンネルを抜けたら、日本最初の鉄筋コンクリート橋といわれる第11号橋。

≪第三トンネル…(扁額…【東口】過雨看松色/松方正義 【西口】美哉山河/三条実美)≫
第11号橋の下を通ればすぐに現れる「第三トンネル」。
これを抜ければ蹴上です。少し名残惜しい瞬間…。

トンネルを抜ければ、左手には「旧九条山浄水場ポンプ室」が間近に。
防火用水として御所に水を送る専用の水道があったのですが、
このポンプ室は御所の紫宸殿の屋根より高く放水できるようにするための施設でした。

設計は京都国立博物館と同じ、片山東熊。
このポンプ室前で下船です。ポンプ室の中は入れません。
本来、ポンプ室周辺は立入禁止のエリアです。
ふだん入れない場所に入れるというのも、琵琶湖疏水通船の醍醐味ですね。

※1扁額 トンネルの出入り口に掲げられている石の額。その文字は明治の政治家などによる筆。
東口は大津側で、西口は蹴上側の出入り口を指します。
※2船溜 荷物のあげおろしや人の乗り降りのために船を停めるスペースのこと。

そもそも琵琶湖疏水とは?

明治時代、明治維新による東京遷都が行われたことから、京都の町は次第に活気をなくしてしまいます。そんな京都を復興させるべく、様々な取り組みが行われました。その事業のひとつが「琵琶湖疏水」です。滋賀県の琵琶湖から京都の町へ水を引くことで、舟運や新たな産業を興そうとしました。明治18(1885)年に着工。工事の責任者に抜擢された土木技師は、東京の工部大学校を卒業したばかりで、当時21歳だったという田邉朔郎。そしてまずつくられたのが「第一疏水」です。大津市から長等山を通り、山科から蹴上へ向かう第一疏水。竣工式は明治23年4月9日。その前夜には、祇園祭の鉾が出たり、大文字の大の字に火が灯されたりと大賑わいだったとか。その後も改修工事が行われたり、第二疏水がつくられたりするなど、琵琶湖の豊かな水は京都へと流れ込んで新たな活力をもたらしました。

今後の琵琶湖疏水通船

先人が成し遂げ、今も現役で使われている歴史的施設をじかに見ることができる貴重な機会。
今後は、モニター乗船された方のアンケートなどをもとに協議を深め、本格事業に向けた検討をしていくとのこと。

写真や映像で船上からの様子をお届けしましたが、
音や気温、トンネルの雰囲気や色彩…実際に体感してこそだと思います。
また、船で巡ったことで、今度は陸地で琵琶湖疏水周辺を散策してみたいなという気持ちも強くなりました。
新しい京都&滋賀発見になると思います。機会あれば、ぜひ体験してみてくださいね。

▼琵琶湖疏水について
http://www.city.kyoto.lg.jp/suido/category/175-1-1-2-0-0-0-0-0-0.html

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